カテゴリ:6年
いじめを科学する~6年生 道徳科

「いじめは,してはいけないことなのだから,してはいけません」
 そんなことは,いろいろな場面で経験したり,大人から言われたりして,小学校に入る前から知っているし解っていること。確かにそうなんだけど,なんでいじめは起こってしまうの?
 こんな問いから始まる道徳科の授業を,クラスごとではなく「学年」で行いました。
 道徳科の授業は多くの場合,教科書掲載の教材(だいたいが読み物教材)を使って行います。読み物に盛り込まれた登場人物の心情や,飛び交っている道徳的価値を読み取りつつ,多面的・多角的に考えて,冒頭のことを自分の生き方のなかに反映させていく,というような流れです。
 でも,今回は違いました。学年担任がオリジナル教材として選んだのは「いじめと認知の歪みに関する研究」にかかる文献です。子供向けの科学雑誌に掲載されている記事を使わせていただきました。その言説によれば……
 普通なら,いじめをしないような自己調整過程が,私たちの心の中の機械の箱のようなところで働いているのだけど,時としてこの箱を壊す「認知の歪み」がある,と言います。日々の学校生活で「認知の歪み」が引き起こしていると思われる,さまざまな事象に目を向けつつ,それこそ多面的・多角的に考えたり,考えをみんなで共有したりしながら,それらを自分事としていきました。
 児童の皆さん,ちょっぴり新鮮な視点を持って,いじめ問題と向き合うことができたと思います。

 

 認知の歪み,という視点で見ていくと,これは子どもたちだけに限ったことではありません。7種類に分けられた認知の歪みを整理して板書しながら,授業者たち,つぶやきあっていました。「これって,もしかしたらウチらも似たようなこと,やっちゃってるかもね」「運動部系の部活指導の指導者なんかとかでも,あるある?」
 そんなオトナたちの内省をも促すような教材になっていました。これは,道徳科の授業を進めるうえでも,大変重要なこととされています。最後に学習指導要領解説『特別の教科 道徳編』p.16~ 関係箇所を引用して,自戒としたい,と思います。

 

 なお,道徳科の授業では,特定の価値観を児童に押し付けたり,主体性をもたずに言われるままに行動するよう指導したりすることは,道徳教育の目指す方向の対極にあるものと言わなければならない。多様な価値観の,時に対立がある場合を含めて,自立した個人として,また,国家・社会の形成者としてよりよく生きるために道徳的価値に向き合い,いかに生きるべきかを自ら考え続ける姿勢こそ道徳教育が求めるものである。

 

● 資料執筆者
 
甲南大学 文学部人間科学科・大学院人文科学研究科
 准教授 大西彩子(研究室HP)大西彩子の研究室 (konan-u.ac.jp)

公開日:2024年10月18日 13:00:00
更新日:2024年10月21日 11:53:54